邦秋の、ギャラリー「個と場」

宮崎在住のランチタイムミュージシャン、邦秋(くにあき)の頭の中。アイデア備忘録・雑感・お役立ち情報から創作活動(音楽・歌詞・散文詩等)の展示・解説まで幅広く。関心事:DTM・音楽・ロゴ・デザイン・教育・APPLE・効率化他

20190903 音楽の行方

ASKAさんと清春さんが同じようなことをブログとインタビューで語っています。

きっと、先日のROTTENGRAFFTYのNOBUYAさんとの会食ではこんな話をなさってたのでしょうね。

 

ASKAさんのブログより。

今後、僕の作品は、アルバムだけにはしません。別に「シングル」扱いというわけもなく、昨年、行いましたように、できた曲を「配信先行」で、発表していこうと考えています。

もちろん、次のアルバムには収められていくのでしょうが、きっと、配信ベースとなる音楽業界は、
例えば、

ASKA:2019年度作品
ASKA:2020年度作品

と、いうような年度別にカテゴリー分けされた紹介となっていく気がします。

出典:ASKA Official Website Fellows 「全曲、歌入れ終了」

 

清春さんのインタビューより。

長く活動してるアーティストほど、年代で括ったほうがわかりやすいのかなって思いますね。そうすれば、「バンドで作った」みたいな括りで言われなくなる。それよりも、その人が2019年に作って記録したっていうほうがシンプルでいいなって思いますね。

出典:BARKS 【インタビュー】清春、カバーアルバムを語る「時代とか関係ない。何年経っても古くも新しくもなく」

 

数年前、とあるラジオ番組の、出演者が数珠つなぎに質問をする企画で、前週に出演した清春さんがASKAさんに質問をする、という出来事がありました。

これまで全く繋がりを感じることなく別々に応援していたお二方が、番組を通じてそのような形で接触しただけで興奮しておりましたが、ここにきて、本格的な交流をされることなろうとは思ってもみませんでした。

いつか、対談企画や、もしくは音楽的なコラボレーションが見られたら…と期待してしまいます。

 

 

www.fellows.tokyo

www.barks.jp

 

 

 

20190902 産休開始月の社会保険料

私の勤務先は、社会保険として協会けんぽを利用していますが、その手続き上で初めて学んだ(気づいた)ことがありましたので、今日はその備忘録として。

 

被保険者が産休に入る際、事業主が「産前産後休業取得者申出書」を提出することで、産休開始月より該当者の社会保険料が免除となりますが、同月内であれば産休開始前に発生した保険料についても同様に免除となります。

 

例えば、今回私が関わったケースでは、賞与支給→産休開始→給与支払が同じ月に発生しました。

給与分については社会保険料免除を考慮できていたのですが、(思い込みにより)賞与分も免除されると思っておらず、準備していた額と実際の支払総額との間に、到底端数の誤差とは言えない差額が発生してしまい、原因追及に時間を要してしまいました。

 

このことについて年金機構に問い合わせても、「標準賞与額決定通知書の通りです」とだけ言われたものの、決定通知書には今回免除となった方の名前と賞与額もしっかり記載されていたことで、頭の中はさらにパニック状態でした。

今回は偶然と閃きにより、差額が産休取得者の社会保険料免除分であるという結論に至ることができたのですが、こうしたことで時間を費やすことのないよう、制度については一つ一つ理解していかねばなりません。

 

今回は、音楽・詞・アイデアなどとはかけ離れた、ザ・総務な記事でした。

僕が眠りについた後は

椅子の上、ゆっくりと揺られて
止まらない時計の針を眺める

憶えているはずのない揺り籠の
寝心地を、なぜだろう思い出す

初めて綺麗な心を取り戻せたとき
記憶を旅する映画が目の前に流れ始めて

たった一粒の涙が全ての笑顔を濡らしていく
癒えたつもりで気にもしなかった
傷跡はまだ傷んでいる

そんな悔やむことばかりが映し出されていくのは
大事なものを傷つけないよう
生きる術もわかっていたから

 

少しずつ心音が弱って
幕のように降りてくる瞼たち

窓から光が僕と椅子に射し込んで来て
体が少しずつ軽くなって浮かび始める

海の全てを巻き込んで寄せた波が返した後
砂浜に光る貝殻が一つ静かに残されている

僕が眠りについた後も時計は止まらないから
明日からもここで生きるあなたは
せめて幸せなままでいてほしい

 

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20190830 「Chage氏は洗脳されている」という仮説の仮定

参考記事 3つ

ameblo.jp

 

 

 

 

こんな周りからの声がある中での、1年前のこの記事と、

aska-burnishstone.hatenablog.com

 

 

その1年後のこの記事。

www.fellows.tokyo

 

 

点と点が結ばれて線が生まれる気がします。

Chage氏は洗脳されている」という仮説を立てれば、の話。

 

あくまで仮説の仮定です。

もしも願いが叶ったら

「しまった…。昨日イライラし過ぎて、あいつの悪口を投稿してしまった」

「本当? それは取り返しのつかないことをしたわね」

「あぁ。あいつのこと、嫌いなわけじゃないのに、こんな言い方されてしまうと、何も知らない人が見たらあいつがすごく嫌な奴に見えてしまうな」

「それを投稿したあなたもね」

「確かにそうだ」

「令和が始まった頃だったら取り返しがついたかもしれないのにね」

「どういうことだ?」

「あの頃は、まだインターネットの中ががとても自由な時代で、投稿したことが自由に消せたのよ」

「まさか、そんなことしたら、嘘やデタラメを好き放題言えたってこと? 人を陥れることだって簡単にできちゃうじゃないか」

「そのまさかよ。だから、コンビニの店員が冷凍庫に入った動画が投稿されたり、話題になった犯罪の容疑者として全く無関係の一般人の写真と名前が広まったりしたわ」

「おいおい、なんて酷い時代だったんだ。今、俺は確かにあいつへの悪口を取り消したいけど、そんな時代には恐ろしくて戻りたくないな」

「今は一度発信したことを取り消せないのが当たり前だけどね。あの頃の人々は思いつきや悪ノリで何でも発信するのが普通だったのよ」

「まるで凶器を所持する規制がない古代みたいな世の中だな」

 

これが、「昨日の願い事」が叶った後の、20年後の理想の姿。

 

邦秋の、ギャラリー「個と場」

20190828 ウェブの世界に願うこと

 

Twitterをはじめとしたウェブの世界に、心から願うことがあります。

それは、「一度発信した内容は、発信者の意志だけでは削除できないようにしてほしい」、ということです。 そうすることで想定されるメリットは次のとおりです。

 

1 発信者が、発信する内容に対して慎重になる

いわゆるバカッター動画やデマなど、人を傷つけたり不快にする情報が飛び交うようになりました。

そのような悪質な発信を行った者が、投稿を削除してウェブ上から逃亡することを防ぐことができます。

(但し、バカッターやデマにより被害を受ける方の救済のためにも、適切な第三者により削除ができる仕組みは必要だと考えています)

 

2 発信者が、発信する内容に責任を取らざるを得なくなる

上記と似ていますが、悪意があるか、無自覚かという点で違いがあります。

昨今、安直なイメージや勝手に貼られたレッテルを以て、人(特に有名人)を厳しく糾弾する風潮が強くなっています。

中には、誤解や実態とかけ離れた内容が叫ばれていることも。

現状では、自分の発信内容が間違いだったと判れば、その発信を削除すればよいだけですが、それができなくなることで、自分が発信する一つ一つが正しいのかどうかを精査するでしょうし、その内容により責任を持てるようになると考えます。

 

3 発信者が、事前に綿密な文章校正を行うようになる。

プロのライターの記事を見ても、紙媒体に比べウェブ媒体の文章の方が、誤字脱字が圧倒的に多く発生しています。

これは、「ウェブ記事は後から修正ができる」という潜在意識の表れでしょう。

執筆業の質の低下を防ぐためにも、後戻りのできない環境の方がよいのではないかと考えています。

 

以上、3点のメリットを挙げましたが、発信した内容が簡単に取り消せなくなることによる、世界のデジタルデータ量の圧倒的な増加は懸念されるところです。

このことによるサーバの維持コストや電気消費など様々な影響は計り知れませんが…。

 

本記事の趣旨としては、この無責任な価値観のまま人間が人間生活を営んでいくことへの危惧だけでも伝わりましたら幸いです。 

 

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 本日の写真作品:acworksさんによる写真ACからの写真

20190827 「周年」と「年目」の整理

「お陰様で弊社も20周年を迎えました。次の10年も引き続き成長するべく、20年目にして初となる新事業を立ち上げることとなりました」

「当店は昨年10周年を迎えました。この節目に改めて感じた皆さまとのご縁を大切に、11年目となる今年も最高のサービスを届けてまいります」

 

これらのセリフに違和感を感じますか?

 

私は、これまでの社会人生活において、周年行事に二度巡り会うことができましたが、その中で「周年」と「年目」のカウント方法を、大変多くの方が勘違いしていることに気づきました。

ここで、正しい定義を確認してみましょう。 

 

X年が経過した次の年が「X周年」

「周年」は、X年が経過したことを示す語です。

新装開店したお店が、1年後に1周年記念祭を催すイメージがあればわかりやすいですね。

10周年や20周年など10年毎の周年は、開店年や創業年等の年と、下一桁が揃います。

例えば、2009年に創業した会社の10周年に当たる年は2019年、といった具合です。

 

X周年を迎えている年は、既に「X+1年目」

ここがよく勘違いされる点なのですが、上述の通り「X周年」はX年が既に経過したことを表す語です。

従って、10周年をお祝いしているその年は、既に11年目に突入しています。

どうしても10周年=10年目というイメージを持ってしまいがちなようです。

 

以上を踏まえると、冒頭のセリフは、正しくは次のようになります。

「お陰様で弊社も20周年を迎えました。次の10年も引き続き成長するべく、21年目にして初となる新事業を立ち上げることとなりました」

「当店は昨年10周年を迎えました。この節目に改めて感じた皆さまとのご縁を大切に、12年目となる今年も最高のサービスを届けてまいります」

 

会社やお店の周年行事での挨拶やバンド等の音楽活動におけるMC等、ビシッと決めたいところで間違うことのないよう、今一度ご確認いただくことをお勧めします。

 

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本日の写真:Roshiさんによる写真ACからの作品