先日、コブクロの「桜」を歌わせていただく機会がありました。
普段全く聴かないこのデュオの歌詞が、何故かあまりに頭に入って来ずに苦戦。
そこで、歌詞を読み込もうと思ったのですが、読めば読むほどその解釈が迷宮入りしてしまったので、今回のブログではその歌詞を追いながら私の心の声を記してみたいと思います。
かなり性格の悪い(ように見える)記事なので、コブクロファンの方は絶対に以下をお読みにならないようご留意願います。
矢印に続くのが、私の心の声です。
名もない花には名前を付けましょう この世に一つしかない
冬の寒さに打ちひしがれないように
誰かの声でまた起き上がれるように
→他ブログでの解釈なども参考にする限り、恋心、つまり、好きという「思い」を花で例えているんだろう。
そして、「また起き上がれるように」と願っている点から、一度の恋愛につき一輪の花(=思い)ではなく、一人一人が一輪の花を持っているというカウントであろう。
了解。
土の中で眠る命のかたまり アスファルト押しのけて
→ん。土に咲く花と、アスファルトの隙間から生えている花、どちらのことを言いたいんだろう…?
会うたびにいつも 会えない時の寂しさ
分けあう二人 太陽と月のようで
→花の喩えが続いていたのに急にリアルな恋愛モード来た!
それにしても、どの点が太陽と月のようなんだろう? 二人が早朝と夕方にしか顔を合わせられないとか…? もしくは、単に「二人」の性格が、自ら光る人と、照らされて輝く人だったとか…?
実のならない花も 蕾のまま散る花も
あなたと誰かのこれからを 春の風を浴びて見てる
→急に二人称「あなた」来た!
これは歌の主人公から見た「君」ではなく、この歌の聴き手という意味での「あなた」なのではないだろうか。(理由は後述)
ただ、花=「思い」だとして、実のならない花や蕾のまま散る花=「成就しなかった好意」が、「あなたと誰かのこれからを見てる」って少し怖くない? ストーカー的…。
桜の花びら散るたびに 届かぬ思いがまた一つ
→冒頭の「名もない花」に始まる「 花」と、ここで散った桜は別…?
しかも、「思い」を花で例えていたのに、直接「届かぬ思い」って言ってしまった…!
涙と笑顔に消されてく そしてまた大人になった
→失恋したことも、様々な人生経験の中で成長の糧として消化されるということかな。ここは納得。
追いかけるだけの悲しみは 強く清らかな悲しみは
いつまでも変わることの無い 無くさないで 君の中に 咲く Love…
→ん。届かぬ思いは消されていくのに、悲しみは変わらないってことは、結局消化できないの…?
街の中見かけた君は寂しげに 人ごみに紛れてた
あの頃の 澄んだ瞳の奥の輝き 時の速さに汚れてしまわぬように
→一番の「あなた」とは別の二人称、「君」来た!
恐らく、二番になって舞台が変わったんだろう。
「君」の状況が具体的に記されているので、歌の主人公にとっての「君」を描いているはず。
だから、一番の「あなた」と使い分けているんだ。
主人公が昔から知る「君」は、田舎から上京したけど馴染めずに苦しんでいるのかな。
何も話さないで 言葉にならないはずさ
流した涙は雨となり 僕の心の傷いやす
→「言葉にならない」状況というのは、きついとか辛いとか、ポジティブではない状況だろうと思われるが、この場合、流した涙は誰の涙…?
「僕」じゃない人、例えば「君」の涙の場合、他人のネガティブな感情で生まれた涙で自分の心の傷を癒すって…どういう状況…?
人はみな 心の岸辺に 手放したくない花がある
それはたくましい花じゃなく 儚く揺れる 一輪花
→心に花があるということは、花=「思い」という仮説は間違いないだろう。
でも、そうだとして、皆、心にある「思い」はたくましいものでなく儚いものだと決めてしまうのか…!
花びらの数と同じだけ 生きていく強さを感じる
嵐 吹く 風に打たれても やまない雨は無いはずと
→たくましい花ではないし、一輪だけだけど、花びらの数が多ければ、より生きていく強さが感じられるの…?
前半では、花が散るたびに届かぬ思いが涙や笑顔で消されて大人になるという成長の描写に納得したのに、花びらの数だけ生きていく強さを感じると言われると、恋愛上手な人の方が生きる強さがある、と思えてしまうが…。
そして、「やまない雨はない」って雨を試練のように描写するのはよくあるが、この歌での雨は「僕」のいやしじゃなかったのか!?
同じ曲の、せめて同じ二番の中だけでも、言葉の持つ意味合いは揃えてほしい…!
…あとは、ほぼ同じ歌詞の繰り返しなので自重することとします。
ひねくれ者で、本当にすみません。