邦秋の、ギャラリー「個と場」

宮崎在住のランチタイムミュージシャン、邦秋(くにあき)の頭の中。アイデア備忘録・雑感・お役立ち情報から創作活動(音楽・歌詞・散文詩等)の展示・解説まで幅広く。関心事:DTM・音楽・ロゴ・デザイン・教育・APPLE・効率化他

20170831 日本人感

「日本人は優しい」
「日本人は丁寧だ」
一般的にこう言われていると思いますし、確かに否定はしません。
しかし、偏屈な私はどうしても「そうかなぁ」と引っかかってしまうところが。
そこで、自分が納得のいく一つの仮説を立ててみることとしました。
それは…
「日本人は、基本的には圧倒的に他に厳しく、わがままな国民性である。同時に、悪者になることは避ける上、建前は全力で重要視する面も有する」
つまり、日本人は元々優しいのではなく、実は根っこはとても自己中心的なのだという視点に立った説です。
この仮説を前提に物事を観察してみると、よく目や耳にする「優しい国民性らしからぬ行為」も理解できてきます。
花火大会で他の人に紛れてゴミをあちこちに平気で捨てられるのは、その「根っこ」が見えているとき。
でも、日常で街を歩くときは目立ってしまうからポイ捨てはしない。(する人もいる)
自然災害という仕方のない原因で電車が動かないときに、怒りに任せて駅員に罵声を浴びせるのは、お互いに名も知らない間柄だからできること。
職場では優しいあの人が、レストランで見ず知らずの店員に対して態度が大きくなるのは、建前を繕う必要をオフにしている心理の現れ。
街に溢れた24時間営業のコンビニや日本製家電の品質のよさは、消費者の厳しい要望への対応の結果。
Twitterでは罵詈雑言の嵐なのに、顔の出ているFacebookでは綺麗事のアピールばかり。
汚いはずのお手洗いをいかに清潔に見せるかを一生懸命頑張る国。
優しさで言えば、外国で見ず知らずの人から優しさをかけてもらって涙しそうになった経験もあります。
これは、見知らぬ人には挨拶をしない日本ではなかったであろう経験。
もちろん、日本人が優しくないとか日本が良くないという話をしているわけじゃ決してありません。
一概にイメージだけで「優しい」「丁寧」という一言で自分たちを表現されることの違和感と危険性を感じています、という趣旨の記事です。
そして、自分たちに関する自分なりの解釈を持っていると、客観的に物事を考え、行動できるのかな、と思っています。