昨日7月13日、キャリア教育イベントに参加してまいりました。
内容は、中学生2名、高校生2名、社会人1名から成るグループワークで、中高生が自身の未来像を語り、意見交換をするというものです。
社会人は、中高生の意見を引き出す役割を担います。
この会合の最後には、大人は決まって「私たちの頃と違って、今の子達はすごくしっかりしているね」といった感想を述べがちです。
確かに私もそんな気もしました。
しかし、それ以上に強く感じたことがあります。
それは、中高生の皆が「お利口」過ぎることです。
私は今回7人の中高生を相手にしましたが、皆口を揃えて「人の役に立ちたい」と言います。
これは、学校及び家庭教育の成果であり大変素晴らしいことです。
しかし一方で、人の役に立つこと以外で、自分が没頭・熱中できることや、続けていきたいことを尋ねてもなかなか答えが返ってきませんでした。
その後も質問を変えながら色々な話を聞いていくうちに、一つの仮説が見えてきた気がしました。
それは、
彼らは与えられた成長のレールの上をあまり何も考えずに歩んできた結果、「人の役に立つ」という言葉は頭に刷り込まれてきたものの、自分自身と向き合う時間が圧倒的に足りないのではないか、というもの。
自分自身を知ることはとても大切です。
自分は何をしている時が幸せで、何をされると不快に思うのか。
何をするときは他人よりも優れた力を発揮できて、何をするときは他人よりも時間がかかってしまうのか。
大きなことから小さなことまでそれらを考え尽くし、自分のパターンを探っていくのです。
例えば私は、0から1を生み出すことは苦手ですが、1を100まで充実させることにおいては力を発揮できると自覚しています。
この自覚のおかげで、組織の中で動く際、0→1をしなければならないときは人に協力を請うことができますし、他人が1→100に苦戦している際はすぐに助け舟を出せます。
そうすることで、必要以上の心的負担や組織としてのタイムロスの軽減に繋げることができます。
自分自身と向き合う時間はとても大切です。
何となく組織の中に混ざり他人と接するよりも、自分という人間は何者なのかを知った上で周りと接触する方が、自分の立ち位置を客観視できます。
そして、自分と向き合った自分が未来像を考えていくと、一段と具体的に将来やりたいことが見えてくるのではないでしょうか。
企業の採用面接官の「受検者は皆同じ答えを言うから面接がつまらない」という発言もよく耳にします。
このことも、昨日の私の実感と根底ではつながっているでしょう。
アイデンティティ教育。
これからはそんな視点があってもいいかもしれません。