邦秋の、ギャラリー「個と場」

宮崎在住のランチタイムミュージシャン、邦秋(くにあき)の頭の中。アイデア備忘録・雑感・お役立ち情報から創作活動(音楽・歌詞・散文詩等)の展示・解説まで幅広く。関心事:DTM・音楽・ロゴ・デザイン・教育・APPLE・効率化他

20190823 音楽の価格と価値

最近、作詞に大変時間がかかってしまう旨をお伝えしましたが、その延長線上でふと疑問に思ったことがあります。

それは、「なぜ音楽は一曲一曲の価格が同じなんだろう」ということ。

時間をかけて壮絶な生みの苦しみを経て作られた作品も、天才的なひらめきで一気に仕上がった作品も、一曲250円です。
多くのミュージシャンの力を借りてレコーディングされた壮大な作品も、自分でギターを演奏した弾き語りも、一曲250円です。

そういえば、アルバムにおいても10曲入りと15曲入りのCDが同じ価格で売られることも多々ありますね。

 

これが例えば絵画になると、一枚一枚の価格はそれぞれで決まっていき、額としても数千万円、もしくは数億円の値が付くことも。

きっとその違いは、ビジネスとしての仕組みが仕上がっているか否かなのでしょう。

 

絵画の価格は、基本的にオークションで定まっていきます。

その絵に込められたストーリーや時代背景、絵自体の存在意義等の「付加価値」に対して、是が非でも手に入れたいという思いのぶつかり合いが落札価格を押し上げていきます。

一方、音楽については、かつてはCD、現代では配信という物理的なモノがない形で、一つの曲を均一な質を保ちながら作品を普及させられる術を持っています。

これが、「音楽作品はマスターテープにのみ残せることとし、その所有者しか聴くことができない」という状況になれば、そのマスターテープには絵画並みの価格がついたのかもしれません。

ただ現実として音楽業界は、生み出された作品を、それらを広く拡散させることで収益としていく道を選んだことになります。そのプロセスにおいて、一曲一曲に個別の価格をつけていくことは不可能だったのでしょう。

音楽は、拡散されるからこそ、コンサートがあり、合唱があり、カラオケがある、ということを考えれば、その選択は必然だったものと思われます。

 

しかし、以下個人的な独り言ですが、配信文化が浸透し、音楽が「風景」のような立場に変わってしまったように感じます。

価格=価値とは決して思っておりませんが、音楽が「特別でないもの」のように捉えられ始めているのではないでしょうか。

私のような素人が作った作品でも、生みの苦しみは大いに感じておりますし、愛着を感じて下さる方もいます。

それが、プロの楽曲となると、作詞・作曲・演奏・歌唱・レコーディング・ミックス・マスタリング…その全てのプロフェッショナルが集まって作り上げられるわけです。

楽曲の一つ一つが、もっと尊く思われる世の中であるといいな、と思いました。

 

※私の作る楽曲が250円だったり統一価格であることに不服である旨を伝える記事ではありません。あくまで、プロの皆様の視点を想像した上での記事であることをご理解いただければ幸いです。