ワニが炎上しています。
漫画家のきくちゆうき先生がTwitter上で投稿を継続していた「100日後に死ぬワニ」の件です。
100日間Twitter上での連載が続き、2020年3月20日に文字通り亡くなったのですが、その後炎上してしまいました。
原因は、最終回投稿直後に書籍化と映画化、グッズ展開が発表されたことにあります。
きくち先生は、プロの漫画家ですから、自身の作品をビジネス展開するのはとても当たり前のことです。
そして、消費者の関心が一番「熱い」タイミングでプロモーションの一手を打つのは当然の作戦であり、その事実だけを見れば決して否定される流れではなかったはずです。
しかしながら、なぜ炎上したのか。
理由は、次の2点にあると考えています。
1. 作風に沿った受け手の気持ちを全く汲み取らなかったから
広報は双方向のコミュニケーション。つまり、「相手」がいて初めて成り立ちます。
情報を発信する側は、その相手、つまり受け手の気持ちを的確に掴まなければいけません。
そして、作品の性質によって、その作品を鑑賞した後の受け手側の気持ちの在り方は大きく異なることを把握しておく必要があるのです。
例えば、音楽のライブ。一曲歌い終わった後に歌い手が客席に向かって「ありがとう」を伝える場面を想像してみましょう。
アップテンポで盛り上がった曲の後は、曲の終わり際に「ありがとー!」と大声で伝えると、観客の気分がより高まりますし、
バラード曲の後は後奏も終わり、鳴りやまない拍手の中で、呟くように「ありがとう」という方が、観客は楽曲の感動に浸ることが出来るでしょう。
まさか、バラード曲の歌い終わりに、「ありがとー!!」とシャウトする歌手はいないはず。
このように「歌を歌い、謝辞を伝える」という一つの行為でも、その楽曲の雰囲気によって歌い手の振る舞いが変わってくるものです。
以上を考えた上で、話をワニに戻しますと、3月20日に予めわかっていたワニの死に直面した読者は、自分のこれまでの生き方を振り返り、これからの生き方を見直すなど、人生観と向き合う時間を過ごしたかったことでしょう。
上記の音楽の例で言えば、感動的なバラードを聴いた後の「余韻」タイムです。
しかし、その余韻に浸る間もなく、命を以て人生観の大切さを伝えてくれたワニが元気そうな姿で物販の宣伝を始めてしまったがために、「気分をぶち壊された」と思われた方が多くいらっしゃったのではないでしょうか。
2. 読者が作者から売り込まれることを想定していなかったから
「作品」と「お金」という関係性を見たとき、予想されるパターンは次の二つだと思います。
一つ目は、予めお金を払って、作品を鑑賞するもの。これは、事前にチケットを購入して楽しむライブや美術展のようなものが該当しますが、この場合、客側は「お金を払って楽しむ」という前提で行動しているわけです。
一方、別のパターンとして、無料で提供された作品を楽しんだ後、その作品や作者に対して応援の意味を込めてお金を払うことがあります。いわゆる投げ銭だったり、入場料無料の個展における作品の購入等がこのパターンにあたるでしょう。
この場合、一貫して作者からの積極的な売り込みはなく、作品を見た後の客側の「応援したい」という純粋な気持ちがお金を動かします。
今回のワニの一件では、読者が後者のパターンだったと思っていたにもかかわらず、作品が完結した途端に、作者側からの超積極的なプロモーションが始まったことにより、関係性の前提条件が崩れたことが、「裏切られ感」に繋がったものと考えます。
一連の騒ぎを受け、きくち先生は「この作品は自分一人で始めたものであり、色んな人がついてきてくれた」という弁明をする事態に。
しかし、世の中を動かしているのは、事実がどうだったかではなく、(理由1にも記した通り)「受け手にどう映るか」です。
その点で、今回はプロモーションの何らかの方法を誤ってしまったといっても過言ではないでしょう。
では、どのようにしたら炎上が起こらなかったか。
私なりに考えてみましたが、恐らく一連の宣伝が、①最終話投稿直後に、②作者のTwitterアカウントから発信されなければ、状況が少しは違ったのではないかと思います。
例えば、「いつまでもワニを忘れないためのアカウント」等の名称のアカウントを立ち上げ、公式のアカウントであることを説明しつつも、作者きくち先生はその売り込みに関与しないことで、きくち先生と読者の立場は、上記の「投げ銭パターン」を維持できたのではないか、と想像します。
もちろん、結果論ですので何とでも言えてしまうわけですが。
SNSの進化により、発信者と受信者の距離が良くも悪くも密接になっています。
真実と印象は必ずしも一致しません。素晴らしい作品も、世の中に必要な活動も、印象によっては悪評を買ってしまいます。
受け手の気持ち・受け手(とお金)との関係性に敏感になりながら、作り手側は発信をしていかなければならないという教訓を示してくれた一件でした。
(もしくは、この炎上まで見越してのプロモーション活動であれば、知名度を上げるやり方としては天晴ですが。)