邦秋の、ギャラリー「個と場」

宮崎在住のランチタイムミュージシャン、邦秋(くにあき)の頭の中。アイデア備忘録・雑感・お役立ち情報から創作活動(音楽・歌詞・散文詩等)の展示・解説まで幅広く。関心事:DTM・音楽・ロゴ・デザイン・教育・APPLE・効率化他

音楽談義 #01 「良い歌詞の定義」3/3

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歌詞に意味はなくてもいい

シゲ(以下、シ): 俺、歌詞から人生を学んで生きた男だからさ、そのメッセージが重要ってずっと思ってたんだよ。その点で、「自分の書いている言葉に意味はない」って明言していた草野正宗さんの作る歌を今まであまり聴いてこなかったんだよね。

でも、スピッツの歌も曲と歌詞の一体感という点では確かに感じるから、今日の話を経て改めてちゃんと聴いてみようかな、と思ったよ。

邦秋(以下、邦): そういえばこの宿題を貰って、詩について少しウェブで調べてたら、谷川俊太郎さんのインタビュー記事を見つけたんだよ。かのレジェンドも、「詩はくだらないもの」って仰っててとても驚いたよ。その点では、詩も歌詞も根底は同じなのかもね。

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そして、意味がないことを前提としている中で、歌のために生まれた歌詞として、「歌との一体感」という観点はやはり重要になってくるんじゃないかな。

水曜日のカンパネラの「桃太郎」に出てくる「キ ヴィ ダーンッ キヴィキヴィ ダーンッ」なんて、先の3つの観点で行くと評価は低くなるんだろうけど、あの音程とリズムと言葉の響きでライブハウスが揺れるんだから、この歌詞は「良い歌詞」に当てはまると言ってもいいのかな、と。

シ: 「つけまつける」とか「Yeah! めっちゃホリディ」とかね。メッセージ性とは別の観点で、よく考えられたか詞なんだなぁ。…そう考えると、「悪い歌詞」っていうのはプロの世界では出づらいのかもね。

邦: 確かにね。ま、曲調と歌詞の雰囲気が合っていないな、とか、譜割りに違和感があるな、って個人的に感じる曲はあるけどね。恐らく、それは主観なんだろうけど。

例えば、その両方を満たしちゃうのは、L’Arc~en~Cielの「bravery」。あの曲は、もう少し違うテーマの歌詞を欲しがっていた気がするし、「何を知ってるっていうのさ」という譜割りも勿体ないなぁって思ってる。

シ: ぶっちゃけるね。

邦: 曲が呼んでいない言葉選びという点では、安室奈美恵さんの「Get myself back」もね。「サビでそっちに行くかぁ」とは思ったかな。生意気な素人だよね。ファンに怒られる。

シ: LUNA SEAの「THE BEYOND」って曲があってさ。それは、普通の歌もあるんだけど、SUGIZOさんのバイオリンによるインスト版もあるのよ。実は、そのインスト版を聴いて初めてこの曲のメロディが心に染みてさ。日本語の響きが重すぎるせいなのか、言葉に隠れちゃった魅力かな、と思うことがあったね。

邦: その曲を聴いたことがないからわからないけど、もしかしたら、それは曲が呼んだ歌詞じゃなかった可能性はあるよね。今回の評価軸で行くと、もっと再考の余地があったのかもしれない。

シ: 最近のLUNA SEAの歌詞はあまり好きじゃなくてね。文章じゃなくて断片的な言葉が多いのよ。

邦: あ、それは完全に主観だね(笑)。最近のLUNA SEAの歌詞が、メッセージ性を欲しがるシゲの好みにフィットしていないだけで、それは今の彼らの楽曲に必要な断片性かもしれないじゃない?

シ: 確かにそうだ(笑)。客観と主観を切り分けないとね。

ところで、桜井和寿さん(Mr. Children)は、譜割りの面では弱いって自認しているみたいよ。一時期から、譜割りよりも言葉選びを優先するようになったんだって。

邦: 桜井さんの譜割りは音に対して言葉を詰め込むイメージがあるけど、それはそれで全部かっこよさが成立している気がするけどなぁ。どちらかというと、音に対して少ない言葉を無理して伸ばす歌詞が苦手かな。譜割り潔癖症のウチとしては(笑)「強がって」を「つよがぁ~ぁ~って~」って歌うとかさ。今のは具体例が思い浮かばずに適当に作ったけど(笑)

シ: なるほどね。俺は、意味のないラララも嫌だね。

邦: ラララ潔癖症がここに居た!

シ: L’Arc~en~Cielsnow dropの「ララルララ」は素晴らしいよ。あれは、意味のある「ララルララ」。

邦: 深い分析だな。

シ: あの「ララルララ」はね、雪が降っていることを表してるんだよ。「祝福されたように」 → 「ララルララ」 → 「あなたはまるで白いベールを被ったようだね」でしょ? 「ララルララ」で雪が降ったから、白いベールを被ったようになる。必要なララルララだね。

邦: 歌詞の読み込み大会があれば、シゲは優勝だね。

 

音楽は総合芸術

シ: いやー、それにしても良い歌詞の定義が見つかってとてもスッキリした気がするよ。

邦: ウチもそう思ってたんだよ。でも、実はこの光の先に闇があってね…。

シ: え?

邦: これまで話してきたのは、あくまでウチが曲先で歌詞を書く人だから、その前提に立った話なのよ。だから、詞先の人はもっと自由に歌詞を書けるわけで、その点で「歌詞の評価」っていう話をすると、実は先の定義が崩れてきちゃうのよね。

シ: それでも、曲が歌詞に寄り添うこともあれば、歌詞が曲に寄り添うこともあるから、それは別にいいんじゃないの?

邦: 詞先の場合、曲と歌詞との一体感があるかどうかの評価って、むしろ良い作曲かどうかという視点になるのよね。その点では、歌を考慮せずに書かれた詞先の歌詞は、実はシゲが冒頭に上げた、哲学・切り口や表現力の面で評価されていいとも思ってるんだ。

シ: なるほど…。詞先の代表格としては槇原敬之さんとかね。でも、全部の曲に対して曲先か詞先かって明記されていない分、この話は難しくなっちゃうね。

邦: そうそう。だから、詞先の作品は「歌詩」、曲先の作品は「歌詞」のように、評価の土俵を分けてくれると嬉しいな、って思う。曲先派で、常に曲が呼んでいる言葉を探す旅に出ているウチとしてはね。

シ: 理解はできるけど、それは難しい話だな(笑)

邦: さらに、詩の歴史は文字が無かった頃に遡るみたいで、その頃は旋律に乗せて詩が詠い継がれてきたらしいのよ。すると、序盤で行った「詩」と「歌」の切り分けすら、崩れちゃうという(笑)

シ: おやおや。

邦: …そうなんだけど、ま、歴史は移り変わっていくし、現代の解釈として、先に述べた評価軸を信じていいんじゃないかな、と思ってるよ。

シ: 割り切りは必要だね(笑)

それにしても、良い曲っていうのは、良いメロディ・良い言葉・良いアレンジ・良い演奏・良い声・良い歌い方…色んな要素が合わさって初めて生まれるんだね。もはや一つの総合芸術だ。

邦: 素敵な結論に至ったじゃない。何だか、今回の宿題と考えを通じて少し大人になった気がするよ(笑)

どうもありがとう。