邦秋の、ギャラリー「個と場」

宮崎在住の邦秋による言葉のギャラリー。自作詩・自作詞(歌詞)を中心に、その他、アイデアや雑感、気づきの備忘録。関心事:デザイン・教育・音楽・Eテレ・効率化・唐揚げ・kintone他

20190917 働き方改革について思うこと

働き方改革」の話題になるとネガティブな反応を示す方が少なからずいらっしゃいます。
それが、経営者だけでなく労働者側にも存在しているところに、この改革の課題があると言えるでしょう。

その要因の一つとして、本改革の中でも特に目立つ施策である「有休5日取得義務」のように、休むことを強制されているという点が、労働者に課せられた状況とマッチしていないからだと考えています。

 

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私が思う働き方改革のポイントは、いかに休むかという点ではなく、圧倒的な効率化によっていかに生産性を向上できるかです。

手書き文書を電子化したり、エクセルで管理しているものをデータベース化したり、同じ組織内で重複している仕事は統合したり…そんな工夫のしどころを整理し、実行するだけでも随分と変わってくるはずです。

そんな「働き方改革」という名のもとに行う取組としては、例えば…

  • IT導入補助金のさらなる強化
  • 業務上の無駄を削減するアドバイザーの養成
  • 上記アドバイザーの派遣による各組織・企業の無駄の徹底的な排除
  • 行政が民間に求める業務の手続きの簡素化(所謂「指名願い」等の事務) など

以上のような、文字通り「働き方」に注力した取組に注力したほうが良いと思います。

例の最後に挙げた「行政が民間に求める業務の手続きの簡素化」については、一提案を過去記事でもお示ししておりますので、よろしければご覧ください。

 

kuniaki.hatenablog.com

 

また、有給休暇取得推進(義務化)や勤務間インターバル制度の導入も、働き手の心身の健康には必要なことですが、これらを「働き方改革」という名のもとで行うと、どうしてもアレルギー反応が出てしまう人がいるでしょう。

働き方改革」の施策として休むことを強制すると、働く意欲が削がれると感じるからです。

そこで、これらの施策は「休み方改革」と名を替えて、休みたいときにしっかりと休める文化を育成する方が現実的であるように感じます。

そして、その「休み方改革」にはまだ国が取り組んでいない重要な事項があります。

 

それは、「顧客による発注内容に関する規制」です。

 

いくら会社側が従業員の働き過ぎを是正しようとしても、その原因の多くは、顧客からの依頼内容(つまり、無茶ぶり)にあり、受注側の従業員はその実現のために無理を強いられているからです。

 

「他社が新サービス導入するという情報を入手したので、うちとしても超特急で○○のシステムを構築してほしい」

「夏休み商戦に向けて急きょ当施設をリフレッシュしたい。間に合わせてくれ」

 

このような無理難題に対して、発注側にペナルティが課せられる社会にならないと、どれだけ働き方改革によって生産性を向上しても、休み方改革は達成しません。

むしろ、受注側の生産性向上を喜んだ顧客が、よりハードルの高い依頼をぶつけてくるまでです。

 

押し寄せてくる無茶ぶりの波に対し、「働き方改革」の名のもとで「休め、休め」と言われても、現実は「そうは言っても休んでは顧客に迷惑をかける」という思いが勝り、サービス残業が拡大する一方。

そうではなく、適正な仕事量を、適正な人員で回せる仕組みづくりをしっかりと作っていくべきであると考えます。

 

より現場感に寄り添った「改革」が実行されますよう、願うばかりです。

  

photoBさんによる写真ACからの写真

20190913 長編推理ドラマの限界

先週の日曜日(R1.9/8)に最終回を迎えた、ドラマ「あなたの番です」。
その終わり方には賛否両論ありましたが、ネット上の評判を見ると、「否」の方が多い印象を受けます。

いくつかあった「否」の主張の中でも多く叫ばれていたのは、「全ての伏線が回収されると思っていたのに、スッキリしないどころか新たな謎を生んで終わってしまった」ことだったのではないでしょうか。

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あまりドラマを見ない私が最近見た作品と言えば、「カルテット」「3年A組-今から皆さんは、人質です-」、そして「あなたの番です」。
これらに共通するのは、1話完結ではない所謂「連続もの」だった、という点です。

毎回色々な伏線が張られ、次週も見ないと気が済まなくなる連続ものは、一度はまると一週間そのことが気になって仕方なくなります。

 

ただ、近年は視聴者による、特にツイッターでの推理合戦が過剰に加熱し、作者の意図を大きく上回る深読みが暴走し過ぎているように感じます。

しかもその深読みはドラマ内にとどまりません。例えば「あなたの番です 反撃編」では、番組ポスターの人物の手の開き方や目線などから考察を広げる方も少なからずいらっしゃいました。

純粋にドラマを楽しみたいという思いで推理するのが本筋なのでしょうが、最近は「自分は真実をわかっていた」ことを(意識的にか、無意識的にか)アピールしたいがために、独自の見解を必死に見つけて発信しているようにも見えてしまいます。

そうして皆が「我こそは」と推理合戦をして妄想を膨らませ過ぎれば、当初予定されていたどんなに素晴らしいクライマックスも、「なんだ、やっぱりそれか」と霞むことでしょう。もしくは、その推理を全て外そうと飛躍したエンディングにすると、「何の伏線もない唐突な展開は雑だ」等と評されるはずです。

 

視聴者の考察が盛り上がり過ぎる件については、「カルテット」での出来事を思い出します。

このドラマで、登場人物が確認した携帯電話の時刻がドラマの進行の順を追っていなかったり、ポスターの日付が前後したりしたことについて、「意図的に時間軸がずらされている」という見解が一時期のツイッター上で話題になりました。

それに対して、佐野亜裕美プロデューサーがドラマ放映期間中に、「単純なミス」であったことを陳謝しなければならない事態に。

 

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「カルテット」、「時間軸ずれてる?」考察に「単純ミス」と謝罪 ファンの反応は?(BuzzFeedNews)

 

 

深くドラマを見られるのはありがたいことなのでしょうが、少しのズレも許さない視聴者の姿勢は、一歩間違うとただの粗探しになりかねません。

もちろん、ミスがないことに越したことはありませんが、時間的・予算的にも様々な制約があるであろうドラマ制作業界にも限界はあるでしょう。

そんな状況に陥った昨今の状況においては、続き物の長編推理ドラマを作ることが怖くなってしまいそうです。

20190911 Appleスペシャルイベントのタイミングで久々に驚いたこと

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Apple Special Event

Appleスペシャルイベント。

かつては、どんな「新しいこと」を提示してくれるだろうとイベント開催前からワクワクしておりました。

そう、「新しいもの」ではなくて、「こと」。

ここにAppleらしさを感じ、その素晴らしさに魅了されたファンが、いわゆるApple信者となっていきました。

 

しかし、新しい価値観を創造し、提供してくれていたAppleの姿は影を潜めていき、いつからかAppleスペシャルイベントは、ハードのスペック向上のお知らせの場と化してしまいました。

 

毎年3月と9月に開催されるAppleのイベント。
今回、勤務先の同僚と開催直前のイベントについて一切話題が上がりませんでしたが、私にとってはここ数年の中で初めての出来事でした。

それだけ私と、私の周辺の方に限って言えば、ワクワク感が尽きてしまったんだと思います。

 

ただ、今回はスペシャルイベント後、久しぶりに驚いたことがあります。

それは、Appleの既存商品の値下げ幅。

 

例えば、iPhoneですと…

  •  iPhone 8 (64GB)は、67,800円 → 52,800円(△15,000円)
  •  iPhone XR (64GB)は、84,800円 → 64,800円(△20,000円)
  •  iPhone XR (128GB)は、90,800円 → 69,800円(△21,000円)

 

フルスクリーンのiPhoneは10万円近く払わないと手に入らないという印象でしたが、ここにきて一気に購入しやすくなったように感じます。

 

また、Apple WATCHも…

  •  Series 3 38mm(アルミニウムケース)GPSモデル 31,800円 → 19,800円(△12,000円)

 

Apple WATCHは興味があるけど、時計の金額としては高すぎる…と思っていた方にとっても、グッと身近な存在に感じられる値下げとなったのではないでしょうか。

 

スペックを上げて、強気な価格で勝負してきたAppleですが、ここまで大衆向けのラインナップに舵を切るとは思いませんでした。

今までの、創造性を刺激する驚きとは程遠い性質の驚きではありますが、それでもインパクトはとても大きい変化と言えるでしょう。

 

この英断は消費者としては嬉しい限りですが、新商品の売れ行きが心配になってしまうところです。

 

www.apple.com

20190909 いかに言葉を操ることができるか

社会人生活が10年を超え、歳上だけでなく、歳下の方とも話す機会が多くなってまいりました。

総務部という立場上、人と人との「調整」を図らないといけないことも多く、そのためにはどうしても「いかに言葉を操ることができるか」が鍵となってきます。

 

歳上の方との対話で心がけたいのは、原因と結果を完璧に理解しておくこと。

時間のない経営層との会話においては、正しい情報を端的に伝えなければなりません。

最も端的に伝えるべきは「結果」ですが、経営層としては「なぜ?」も気になるところ。

その質問にも素早く的確に答える必要があります。

 

そのためには「情報のインプット」と「経過の正しい理解」と「結論をまとめる力」が欠かせません。

これらは全て、言葉を操ることで為されるものであり、その能力は言葉を用いる頻度とそのときの集中度によってのみ磨かれていくものと考えています。

 

 

歳下の方との対話で心がけてたいのは、傾聴に徹し、相手の伝えたい‪ことの根源やその先について、想像を働かせること。

若い方の…全員とまではいきませんが、多くの方が、ぼんやりした考えだけをもって発言されている印象があります。

なぜそうなったのか、なぜそう思うのか、それによってどうなるのか、それによって何がしたいのか…

自分自身に係ることすら、述べることができません。むしろ、そこまで深く、あるいは論理立てて考えられていない、というのが正解でしょう。辛口ですが。

きっとそれは「言語化する」という習慣がなかったために起きている現象なのだと考えます。

 

ぼんやりしたものを、確固たる自分の想いや意見にしていくには、一つ一つを言語化していくことが肝要です。

はじめは、発する言葉自体がぼんやりしていても、その言葉に行き着いたルーツを探ったり、その先に何わ見ているかを問うたりすることで、それらの言葉一つ一つが足跡を作っていき、一本の道筋が見えてきます。

そうしてぼんやりしていたイメージが、くっきりした画像・映像になっていくわけです。

まるで、視力0.02の私が、メガネの度を徐々に上げていく感じでしょうか(笑)

 

言葉を知っているか否か、使いこなせるか否かは、思考を深く広くできるか否かに直結する要素といえます。

そう、言葉はただ伝達するだけのツールではないということです。

その人が持ち合わせる言語がその人の世界観の形成や思考に影響を与えることとされる「サピア=ウォーフの仮説」というものもあります。

これはまだ仮説の域を脱しませんが、私は非常に説得力のある説だと思っています。

 

たかが言葉、されど言葉。

人間であるからこそ、ぜひ皆さんに大切にしていっていただきたい存在です。

 

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 本日の写真作品:babel's artworksさんによる写真ACからの写真

20190907 目指すものの矛盾

建設業に勤め、教育に関心がある、ということから、地域(宮崎)や日本の将来について考えることがしばしばあります。

もちろん、研究者の方の考えの質と比べると、くだらない独り言のようなレベルですが。

 

そうして未来を考える間に、色んなベクトルが頭の中をよぎり、そのどれもが間違いではない気がするのが難しいところ。

 

例えば、

宮崎は、高校卒業後の若者の定着率の低さが課題である、というのも頷けるが、一度県外や海外を経験して、また帰ってきてほしいとも思ったり。

 

今後は、情報機器を使いこなすことが大前提となる時代となるので、教育段階初期の頃からタブレットなどの機器を用いた教育が良い、とも思いつつ、小さい頃は原理原則を身につけるためにも機械に頼らない学習をしてほしいし、人間だけが持ち合わせている「書く」という能力が今後も損なわれず綺麗な字を書ける人に育ってほしいのでアナログでの読み書き計算等の鍛錬は無くさないでほしい、とも願ったり。

 

地域の方々が学校にて無償で教育活動の補助をしてくださるのはとても素晴らしい活動であることはわかりつつも、無償という点でシステムとしての持続性に疑問を感じたり、安全上不安が拭えなかったり。

 

宮崎がもっと都市化して、若者が「田舎に住んでいる」と思わせない街にすることで宮崎に定着する、もしくは帰ってきたくなるように仕向けるのがまちづくりの鍵である気もしつつ、そんなことをしても東京には勝てないのだから全く違う魅力の醸成を図った方がいいのかも、とも思いつつ。

 

恐らく、こんな話は、自分の中だけで考えるよりも、他者と意見をぶつかり合わせることで磨いていかなければならないのでしょう。

 

本ブログ「ギャラリー個と場」が、そんな私の思考の足跡になって、その過程で地域や社会の役に立つヒントの欠片を残していけたら、と思っています。

20190905 1年間で300本炭酸を飲む私が推したい炭酸飲料2強

私は、昔から炭酸飲料に目がありません。

一人暮らしを始めた頃から、冷蔵庫には必ず炭酸飲料があり、一時期はコカ・コーラゼロの2Lペットボトルを常備しておいて、お茶や水代わりに飲み続けていたことも。

そして、歳を重ね、徐々にコーラが甘過ぎると思うようになり、近年は炭酸水に傾倒。しかし、これはこれでやはり味気なさを感じておりました。

そんな私が現時点で行き着いた、「甘過ぎる」ことと「味気無さ」を解消する、令和元年最高の炭酸飲料2強をご紹介します。

 

まず、無糖の炭酸飲料はこちら。

ウィルキンソン タンサン クールシトラス

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これは、確かに無糖なのですが、強刺激のミント系のガムを噛んだときのような「スーッ」とする清涼感が、飲んだ後もしばらく続くので味気無さを感じることがありません。

かつて「ペプシブルー」という商品でも味わった感覚でしたが、この「スーッ」が炭酸飲料に求める刺激と絶妙にマッチしており、他の炭酸水には戻れなくなります。

 

 

 

そして、少しだけ甘みがほしいときはこちら。

NID やさしい水スパークリング マスカット

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こちらは、無糖ではないのでカロリーもゼロではありませんが、一般的なサイダー・コーラ等のジュースと比較すると、甘さは比較的控えめとなっております。

炭酸飲料は飲みたいけど、炭酸水では物足りない、というときに最適なほのかな甘さが唯一無二です。

 

pb.nidrug.co.jp

 

 

私が気に入る商品はいつも短命ですので、これら2強には是非とも未来永劫生き残ってほしいと切に願っています。

 

20190904 教育の行方

昨日、教育関係の方々にお誘いいただき、食事会に参加してまいりました。

お相手は、教職でありながら「教育行政」の方へ進み、学校の外から教育全体の在り方を考え、改善に取り組んでいこうとされていらっしゃる方々でした。

私も、(実は)教育関係の外部委員を拝命していることもあり、教育に関する学校・地域・産業の連携の理想系については常々考えているのですが、昨日の会話の中では大きな発見がありました。

 

私がこれまで持っていたイメージとしては、教育の中心は学校にあり、学校が地域や産業をいかに巻き込んでいくか、という視点でアレコレ考えていました。

しかし、考えの中心を地域に置く、という発想もあるのです。

つまり、各地域が、それぞれに大切にしたいもの(≒地域ブランド)を確立し、その場所に求める学校を地域が作っていく、ということ。

その根っこには、児童・生徒に地元愛を持ってもらいたいという想いがあります。そして、そうするためには大人たちがその地域の魅力をしっかりと自覚し、育んでいかなければなりません。

地元が好きな人が育っていくことこそ、少子化時代におけるその地域の存続の一つのカギとなります。

(もちろん、時代に即したグローバルな視野を持つことも大切ですし、地域存続だけが教育の目的だと言っているわけではありません。念のため。)

 

宮崎県や宮崎市の子供に求めるものは何か、そのために必要な教育はどんなものか、将来の宮崎での暮らしをどうデザインしていくか…等々、様々な考えやアイデアをつなぎ合わせていきながら、地域・学校・産業界がするべきこと・できることを考えていくことが必要です。 

 

また、地域に限らない一般論として、子どもを育てる上で大切にしたいのは、学力よりも「好奇心をもつ心」であることも再確認しました。

知りたい・学びたい・見たい・やってみたい…これらの好奇心が旺盛であればあるほど、学ぶ意欲が湧く事で学力の向上が期待できますし、将来の自分像を探す上でも大いに役立つはずです。

そして、それは人材不足に悩む産業界の願いでもあるでしょう。

 

将来の日本や世界を支える子どもたちのこと、そして今住んでいるまちのことを思えば、教育がいかに大切かという結論に行きつきます。

これからも思うことや発見したことがあれば、このブログに残していければと思います。