それは、音楽面でのモチベーションや歌唱力の高さから、そのグループに欠かせない存在だったからに他ならない。
7月から始まるツアーに向けて、残されたメンバーは歌のパートやフォーメーションの見直しに苦労しているという記事もみかけるが、その点でいえば、頻繁にメンバーが入れ替わっているAKBグループはさぞかし大変だろうと思った。
そうしてグループの違いについてアレコレ考えていると、どうも関ジャニ∞とAKBグループが、同じ「アイドルグループ」としては扱えない気がしてならず、そのモヤモヤの原因について考えてみた。
恐らく、決定的に違うのは「メンバー変更(もしくは増員)」に対する抵抗の有無ではないかと思う。
AKB 48の場合、募集に応じて入団し、育ち、「卒業」していく。
AKB 48という名がある限り、そのグループは存続し、たとえ初期メンバーと最新のメンバーが一人として被っていなくても、AKB 48であることに変わりはないのだ。これはまるで、一つの校名のもとに、3~6年で在籍する生徒が入れ替わる学校のようなものであり、「学校型」と分類したい。
これは、企業やスポーツチーム等、多くの組織体に見受けられる在り方でもあろう。
翻って関ジャニ∞の場合、完成した布陣が1つの「個体」であり、メンバー一人ひとりがそのグループの構成要素であるため外部の者が代役を務めることは不可能な組織のように見える。欠員が出れば残ったメンバーだけで、その個体を稼動させていくであろう。こういったケースを「個体型」と呼ぶことにする。
欠員が多くなれば、その個体(グループ)そのものの消滅(解散等)に繋がるだろう。スポーツで例えるなら、AKB 48のようなスポーツチームよりは、個人競技の選手という単位に近いのではないだろうか。
この分け方でいくと、有安杏果脱退後も残る4人で週末ヒロインを続けるももいろクローバーZは「個体型」だし、ボーカルが入れ替わり新メンバーが多く入っても多大なる人気を誇るEXILEは「学校型」といえるのだと思う。
ここで、当初のモヤモヤがすっきりしたと思った矢先、最も愛するバンドが、そのどちらにも当てはまらないケースだった。
SADSは、以下のとおり、かなりのメンバーチェンジが行われてきた。
これを見ると、メンバーチェンジの回数から「個体型」ではないのは明らかだが、Vocalの清春さんは絶対的に異動がないというのがポイントである。逆に清春さんが抜けるとなれば、それはもはやSADSの解体を意味し、バンドとしての存続は望めなくなるだろう。その点で、「学校型」と呼ぶには違和感がある。
ここに、第3の分類が発見された。
同じ「グループ」という単位でも、その在り方には様々な種類があることがわかる。もちろん、上に述べた3分類だけでなく、突き詰めればもっと細分化されていくだろう。
私は、こうした見えているものの見えていない部分を考えるのが、ただただ好きなのである。