邦秋の、ギャラリー「個と場」

宮崎在住のランチタイムミュージシャン、邦秋(くにあき)の頭の中。アイデア備忘録・雑感・お役立ち情報から創作活動(音楽・歌詞・散文詩等)の展示・解説まで幅広く。関心事:DTM・音楽・ロゴ・デザイン・教育・APPLE・効率化他

20190418 はてなブログ

ギャラリー「個と場」。

 

はてなブログへ引っ越してから2カ月が経ちますが、今のところ大変満足しています。

操作性の高さ、レスポンシブルデザイン、ファビコン対応等、ブログとして必要な機能が素晴らしい点もありますが、読者同士のリアクションが活発な点が、これまで(excite、seesaa)との大きな違いです。

 

もちろん、ご覧のとおり、当ブログに対するリアクションは到底誇る量はいただけておりませんが、たとえスターの1つでもリアクションをいただけていること自体、とてもモチベーションの向上に繋がるわけであります。

 

自分からの発信だけでなく、他者が書いた記事にも関心が高く、ウェブ上でのコミュニケーションを活発に行う方に選ばれるのが、「はてなブログ」なのではないかと実感しています。

 

せっかく素晴らしいフィールドに辿り着いたわけですから、ぜひ読み応えのある「言葉」を発信できるよう努めてまいりたいと思います。

20190417 ブンバ・ボーンのすごさ

またまた、「おかあさんといっしょ」の体操ソングについて。

4月から始まった「からだ☆ダンダン」は、長年続いた前作「ブンバ・ボーン」ロスを吹き飛ばすほどのインパクトと楽しさで、公開初日から世の子供たちを笑顔にさせています。

 

そんな素晴らしい「からだ☆ダンダン」ですが、その新曲の登場を機に気づいた「ブンバ・ボーン」のすごい点について備忘録がてら書き残したいと思います。

 

まず、両作に共通する体操ソングの構成ですが、私なりに以下の通りパート分けしてみました。

 

①元気にはじまる

②ややクールダウン

③しゃがんでお遊戯

④立ち上がって次の山場へのつなぎ

⑤皆で輪を描いて走る

⑥スケール感のある締めくくり

⑦冒頭(①)のリフレイン

終了

 

この中で、今回注目したのは⑤→⑥のつなぎ目のところ。

 

新曲「からだ☆ダンダン」では、

⑤「じまんのエンジン じんじんもやせ じんじんじんじん
  じまんのにんじん どんどんたべて どんどんどんどん」

と子どもたちを楽しく走らせた直後、誠お兄さんが「止まるよー! ストップ!」と号令を出し、「ビュ~ン」と両手を広げて定位置へ移動しつつ、仕切り直してから、「びゅーんと風が吹いてきたよ」の歌詞から始まる⑥に移ります。

 

強引にシーンを変えていかなければならないのは仕方がないのですが、せっかく子供たちが一番大きく体を動かすこととなる⑤なのに、そこそこ短い間で曲ごとぶつ切りさせるのはもったいないなぁと感じていました。

 

 

そして思い出した、「ブンバ・ボーン」のこと。

 

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画像はAmazonからお借りしました

 

「ブンバ・ボーン」でも、同じく⑤のパートで

「さあ見つけに行こうぼくらのたからもの
 この地球のどこかにきっとあるはずさ」

という歌詞のもと、子どもたちを走らせますが、その後に工夫が凝らされています。

 

「ちょっと止まってみたり ゆっくり歩いてみたり
 急いで走ってみたり もいちど止まってみたり
 トンネル覗いてみたり みんなで探そう」

と続き、前段の⑤の走りから、曲を止めることなく自然と様々な動きを織り交ぜて、⑥の「ブンバ・ボンって走っていこう」という締めに流れるように突入します。

 

オペラのように目まぐるしく展開していくのが体操ソングの特徴であり、その中で自然な音のストーリーを作り上げるのは大変な仕事です。

その中でも、これまで何度も聴いていた「ブンバ・ボーン」に光る神業に、今更ながら感動をいたしました。

 

おかあさんといっしょ」に限らず、Eテレの子供向け番組は日本のクリエイティビティの結晶だと思っています。

 

ぜひ皆さんも、ご覧になってはいかがでしょうか。

幸せな人生

溢れ出る感情が、心のキャパシティを超えそうになったとき、

言葉を綴ることで僕は僕をコントロールしている。

 

そして、その感情は、幸せや楽しさというよりは、

怒りや絶望といった類のものの場合が多い。

 

だから、安寧な日々の中では作品が湧いてくることが少なく、

詩や詞が生み出されるときと、

心の状態が良くないときとは、ほぼ同義だ。

 

-「憂い」に「死」を足すと「うれしい」になる

 

かつて、そんな発明をしたこともあったが、

独立した作品として世に出すには抵抗があった。

 

言葉を通じて日常の僕への心配を招きたくないからだ。

 

怒りや絶望を燃料にして筆をとったとして、

それを対象や周囲に直接ぶつけないために

感情を包装紙で綺麗に包み込む。

 

ラッピングをした言葉で周囲に心配を与えるようでは

丁寧に表現を選ぶ努力が無駄になるからだ。

 

 

しばらく、有難いことに作品を生み出す泉が枯れていたのだが、

お蔭様でここ数日は順調に筆が進んでいる。

 

その中で、作りたてのメロディに載せる言葉を選ぶプロセスを楽しむことで

僕は、僕の怒りの感情を薄めていく。

 

それだけで穏やかな日常に帰ってこれるから、

僕は幸せな人生を送れていると思う。

20190411 体操ソングの不思議

4月から、Eテレおかあさんといっしょ」が新体制となり、番組後半で流れていた体操ソング(?)の「ブンバ・ボーン」も「からだ☆ダンダン」へと変更となりました。

小杉保夫さん作曲、吉田戦車さん作詞、MAIKOさん振付という布陣で作られた体操なのですが、この手の歌で気になるのが、どういった順序で作られたのかということ。

歌・詞・体操の3つがリンクした作品を、全て分業でつくるという行程がどうしても想像つかないのです。

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あづきお姉さん、まことお兄さん(NHKから拝借)

例えば、海藻をモチーフにしたパートでは、「かいそう たいそう でんでんだいこ」という歌詞のもと、両手をでんでんだいこのように左右に振ります。

作詞家がこの詞を先に思いついていれば、作詞家が振付師を兼ねてしまう気がしますし、振付師による振付が先でもその時点で詞が完成してしまっているのではないか、と思うのです。

そして、この歌詞と動きが出来上がったときには、ある程度のメロディも出来上がってしまうのではないか、とも。


仮に、歌詞や振付も決まってない中、作曲家がメロディラインもないBGM(いわゆるオケ)だけを先に作ったとすると、それはイマジネーションを働かせなければならないとても困難な作業ではないしょうか。

 

この行程の答えはわかりませんが、作詞作曲経験がある方であれば、この疑問に共感いただけるのではないかと思います。

そんなあなた。ぜひ、新しいお兄さんお姉さんが活躍している「からだ☆ダンダン」をご覧ください。

 

放送スケジュールはこちらからどうぞ↓

www4.nhk.or.jp

20190409 Apple Watchを使い始めました

昨年の秋に転居して以来、通勤時に自転車を数十分乗ることになった私。

汗による皮膚炎の影響によりマラソン生活から遠ざかっておりましたが、久しぶりに運動の日課ができたことで、毎日iPhoneでランの記録を蓄積していた頃を思い出しておりました。


そこで、当時使っていたアプリRuntasticを久しぶりに起動させ、通勤時に使用することに。


ランのときは、左手にiPhoneを持ち、信号の度にアプリを一時停止をして、正確な時速を記録していたのですが、両手が塞がる自転車ではそうはいきません。

信号で止まる度に、ポケットからiPhoneを取り出し、一時停止をして、信号が青になる少し前に再開するということを繰り返していたのですが、かなりストレスが大きく溜まっていました。

(それでも正確な時速の記録がやめられないのは、性分としか言いようがありません)


そのストレスからの解放として思いついたの解決策が、Apple Watchの導入です。

先日、念願の購入に至りました。

 

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記録の開始・一時停止、終了から音楽の調整まで全て手元で完結する快適さ。

今更ながら大きく感動をしております。

 

Coke ONやRenoBodyのように、歩くことでポイント等の特典が得られるアプリとの連携が達成されていないのは残念ですが、これからの展開に期待したいところです。

 

新しいものが、人々に日頃から持ち歩いてもらったり身に着けてもらったりするほどの市民権を得るのは大変なことです。

1990年代後半に携帯電話が普及したのを最後に革命的な変革というのは起こっていない気がします。


もちろん、スマートフォンの台頭は大きなニュースですが、それも携帯電話というものを持ち歩くという土台が出来上がってこその進化と言えるでしょう。


そこから、生活の豊かさのさらなる向上を目指し、既に人々が身に着けてきた腕時計にスマートフォンの技術が搭載されたのがスマートウォッチ。

それに限らず、ウエアラブル端末として、既存のアイテムに技術が逆輸入されていく流れが続いています。


よく知られているところでは、メガネやスピーカー、指輪等が思い浮かぶところですが、その後は何がターゲットになっていくことでしょう。

そして、その先に全く新しいアイテムが市民権を得るのは何年後になることでしょうか。


このままブログを継続することができたなら、いつか、今のこの時代を懐かしむときが来るのかな、と思ったりしております。

 

定時観測

眠りから目を覚ました太陽が

起き上がる途中の角度

 


それを気にせず

時計を信じて行動する僕たちだから

 


寒くて暗く静かな六時を

暑くなり過ぎる前の明るい六時を

自転車で駆け抜けているそのときに

 


季節の訪れを感じられる

それが好きだ

 

 

 

細いタイヤで

路上に落ちた桜の花びらを轢いたとき

 


寒いのに裸になってしまった

動かぬ街路樹が向かってきたとき

 


そんな、何時だろうと構わず感じさせられる

季節の合図でも悪くはないが

 

 

 

貨物車の灯りが頼りになる六時を

職業不明のランナーと多く擦れ違う六時を

自転車で駆けているそのときに

 


季節の訪れを感じられる

それが好きだ

裏側

本を買うと、表紙の裏側や帯の裏側まで見てしまう悪い癖がある。

 

映画のエンドロール後のちょっとしたエピソードのような、
作者の遊び心を取りこぼしていないかを確認してしまう。

 

その裏側が真っ白だったとしてがっかりするわけではない。


ただ、遊び心を見つけて心を擽られた一度の経験が、
僕に裏側を覗かせている。

 

何が「普通」かくらいはわきまえているつもりで、
これは、ただ単に私の悪い癖なのだ。