昨年の秋に転居して以来、通勤時に自転車を数十分乗ることになった私。
汗による皮膚炎の影響によりマラソン生活から遠ざかっておりましたが、久しぶりに運動の日課ができたことで、毎日iPhoneでランの記録を蓄積していた頃を思い出しておりました。
そこで、当時使っていたアプリRuntasticを久しぶりに起動させ、通勤時に使用することに。
ランのときは、左手にiPhoneを持ち、信号の度にアプリを一時停止をして、正確な時速を記録していたのですが、両手が塞がる自転車ではそうはいきません。
信号で止まる度に、ポケットからiPhoneを取り出し、一時停止をして、信号が青になる少し前に再開するということを繰り返していたのですが、かなりストレスが大きく溜まっていました。
(それでも正確な時速の記録がやめられないのは、性分としか言いようがありません)
そのストレスからの解放として思いついたの解決策が、Apple Watchの導入です。
先日、念願の購入に至りました。
記録の開始・一時停止、終了から音楽の調整まで全て手元で完結する快適さ。
今更ながら大きく感動をしております。
Coke ONやRenoBodyのように、歩くことでポイント等の特典が得られるアプリとの連携が達成されていないのは残念ですが、これからの展開に期待したいところです。
新しいものが、人々に日頃から持ち歩いてもらったり身に着けてもらったりするほどの市民権を得るのは大変なことです。
1990年代後半に携帯電話が普及したのを最後に革命的な変革というのは起こっていない気がします。
もちろん、スマートフォンの台頭は大きなニュースですが、それも携帯電話というものを持ち歩くという土台が出来上がってこその進化と言えるでしょう。
そこから、生活の豊かさのさらなる向上を目指し、既に人々が身に着けてきた腕時計にスマートフォンの技術が搭載されたのがスマートウォッチ。
それに限らず、ウエアラブル端末として、既存のアイテムに技術が逆輸入されていく流れが続いています。
よく知られているところでは、メガネやスピーカー、指輪等が思い浮かぶところですが、その後は何がターゲットになっていくことでしょう。
そして、その先に全く新しいアイテムが市民権を得るのは何年後になることでしょうか。
このままブログを継続することができたなら、いつか、今のこの時代を懐かしむときが来るのかな、と思ったりしております。