ダサくない行為をダサいと論じるブログに対し、3000字を超える所感を述べたブログを執筆したが、その自分の行為自体がダサく思えたので下書きに温めたまま公開を自粛。
その中で述べた端的な要点だけを残して今日のブログとする。
「表現の自由はあっても、税金の使い途は自由じゃない」
「国益を損なうと感じた表現に対して、一国民として疑問を呈することは自然なこと」
以上
茶色の煉瓦風のタイルを纏ったビルがあり
その外壁を遮るように畳まれた垂れ幕がある
駅前の風景を一枚の写真に収めた時に
垂れ幕が描いたその波線一つで街が死んだように見えた
何を正しいと呼び、何を間違いだと叫ぶかは人それぞれだが
この写真では、この街が呼吸しているという事実が
伝わらないことは確かである
そう思い、写真の世界においては
垂れ幕が無かったことにすることとした
垂れ幕の周りのタイルを選択し、コピーして
煉瓦模様が連続するよう垂れ幕の上にコピーした煉瓦を貼り付ける
選択範囲の中には十二個の煉瓦があり
その枠の中の右上の煉瓦に照準を合わせ、模様を繋げていく
あたかも垂れ幕が無かったかのように
隣り合った煉瓦が連続の模様をなすことができた
できたと思っていた
しかし、二段下の煉瓦の継ぎ目には不自然な段差が生まれていた
その下も、その下も、段差は明らかに大きくなっていた
何の変哲もない連続に見えるその煉瓦
その一瞬に、一段一段、一つ一つが生み出す
固有の形、角度、色合いは
他のどれとも同じではなく
周りの風景の流用によって誤魔化すことを簡単には許さない
それが人口構造物の風景であっても、である
今年の4月に小学6年と中学3年を対象に実施された学力テストの結果として、英語力の習得に課題がある、といった報道が先日なされていました。
私事ではありますが、私は小学生のときに教員を志し、中学生でその科目を英語と定め、大学も教育系学部の文系・英語専攻の道を進みました。
その一環として、在学中に米国に1年間留学したのですが、その生活を通じて学校教育における英語教育の限界を痛感。
その気づきも数ある理由の内の1つとなり、結局、私は教員になるという選択肢を選びませんでした。
【以下、かなり偏った私見を述べますので予めご了承ください】
学校教育には様々な意義・目的があります。
その中で、「科目教育」をなぜ行うかについて考えなければならないわけですが、その総論は後日私見を述べさせていただくとして、
「科目教育」で行っていることと言えば、「知識と技能を養うこと」であり、それらは「座学と実技で得られるもの」に分類されると考えています。
私なりに以下のように分けてみました。
知識A:知識×座学=国語の漢字・語彙、数学の公式、歴史全般、理科の用語など
技能A:技能×座学=国語の文章表現能力、数学の計算能力など
知識B:知識×実習=理科の実験全般、体育の各種競技におけるフォーメーションなど
技能B:技能×実習=体育の運動能力、図工のデッサン力、家庭科のミシンや包丁の使い方など
各分類の具体例はかなり荒くはなっておりますが、以上のようにラベリングしてみると、入学試験のために学ばないといけない対象となっているのは、知識A群と技能A群。社会的に(表面上)重要視されているカテゴリーといえるでしょう。
逆に技能面、特に技能B群は、人生を豊かに、そして健康に生きていく上で必要なものという印象があります。
スポーツ選手や芸術家を志す方でない限り、運動神経が悪くても、絵を描くのが不得手でも成長過程において大きく不自由することはない社会構造となっています。(あくまで一般論として考えられるものであり、私の意見ではありません)
さて、冒頭の新聞記事に戻ります。
よくこうした学力の話題になると決まって出てくるのが英語の実力、特にSpeaking(話す)能力が足りないという指摘。
私は、英語のSpeaking能力は技能Bに属するものと思っています。しかし、技能B群の中において、他教科に比べ英語のSpeaking能力だけが、教養の域を超えて実力の定着が強く求められ過ぎているように思えて仕方がないのです。
英語が、他教科のように人生の豊かさを高める教養の一部として、そして、国語を学ぶ上での比較対象として学ぶのであれば、今のままでいいでしょう。その場合、英語の4技能の習得に対して目くじらをたてて評価する必要がないと思います。
しかし、多文化共生社会に向けて、日本国民全員が英語による一定のコミュニケーションができるよう育成したいのであれば、英語の授業数の圧倒的な増加はもちろん、国として日常生活から英語が傍にある暮らしにシフトしなければ、その目標は叶いません。
私たちは日本語の基礎をいつの間にか身につけてきましたが、ある程度成長してから習得を目指す「語学」は本当に難しいのです。
グローバル社会という世の中の流れを受け、英語教育が注目されるのはよくわかります。
しかし、「教科」という大きな括りの中で、なんとなくの評価軸ではなく、教科一つ一つを学ぶ意義をしっかりと見極めた上でその成果を検証していかないと、国民全体がどこに向けて走っているのかわからなくなってしまいます。
教養としての英語か、コミュニケーションツールとしての実用的な英語か、方針とその達成に向けた仕組みをもう一度見直すべきだろうと考えています。
昨日、NHKスペシャルの「香川照之の昆虫"やばいぜ!"」を視聴しておりました。
今回は、カマキリ先生に扮する香川照之さんがコスタリカに昆虫採集に行くというお話。
この中で、「モルフォチョウ」という蝶の存在を知りました。
モルフォチョウの特徴は、羽根。
畳んだ時に見える羽根の裏側は、茶色を中心とした地味な模様となっておりますが、ひとたび羽根を広げると、大変美しい青色の光沢がお目見えします。
以下のサイトに、その違いが楽しめる写真が掲載されております。
カマキリ先生曰く、これは普段見える羽根の裏側の色を、落ち葉のように地味にしておくことで、鳥などの外敵から身を守っているのだそうです。
虫が大変苦手な私ではありますが、このモルフォチョウを見て一目惚れしました。
そして、ビビビっとあるアイデアが着想しました。
普段、サラリーマンや公務員等の日常的な衣を身に纏い、社会の風景に溶け込みつつも、その姿からは想像できないような、表現活動の源となる感情を秘めていらっしゃる方は少なからずいらっしゃるはずです。
そしてその方々は、きっと誰にも言わずに、もしくは少人数での趣味として、音楽や絵画、彫刻等さまざまな方法で日頃からその感情を発散しているものと思います。
そんな方々が、「本当の自分」を解放できるようなイベントができればいいな、と思いました。
かつて、「表現が集う場」として開催した「ダリアとストロベリー」よりももっと、表現活動を日常から外向けに発信していない(/できていない/する自信が持てていない)方向けの、「自分に素直に、自由になれる場所」としてのイベントとして。
きっと、私はそのイベントに「モルフォの群れ」と名付けるでしょう。
私も、サラリーマン生活をしている姿について「世を忍ぶ仮の姿」と呼ばれたこともありますが、上述した「隠れ表現家」の方々も、表現をしている時の自分こそ本当(=表)の自分だと感じているのではないでしょうか。
普段見せている地味な姿は「裏の側面」で、その中に隠している鮮やかな世界が「表の側面」。そして、モルフォチョウの羽根の表面の鮮やかな色には毒素も含まれているそうで、モルフォチョウにまつわる話の全てが何とも魅力的で、私が抱く「内なる自分」を持つ人のイメージに瞬時に合致したのです。
モルフォの群れ。
妄想するだけで、久しぶりに燃えてきました。
しかし、それを実現するには、にわかモルフォ愛では失礼ですから、まずはもっとモルフォチョウのことを知らないといけないですね。
shashintorutoruさんによる写真ACからの写真
現在30代中盤の小生。
ふと、自分が今でも好きな(年上の)アーティストたちは、自分の年齢の頃にどんな曲を書いていたのかが気になって調べてみました。
[Single]
Masquerade
[Album]
13
2002年にTOUR GOOD-BYE 2002!! "BEAUTIFUL DAYS"と銘打った131本ものライブを行ったSADS。バンド史上最長のツアーでしたが、ドラマーの左腕神経麻痺に伴う長期離脱による公演の振替やその後予定されていたホールツアーの中止等、困難の多いものとなりました。
ツアー後にリリースが予定されていたアルバム「13」も、当該メンバーの体調不良により十分なレコーディングが行えず、苦肉の策としてインディーズ作品であった前作のリミックスを収録する等して乗り切ることに。
この作品を最後に、2010年の再始動前までバンド活動が停止することとなります。清春さんにとって、悩み多き頃だった時期ではないでしょうか。
[Single]
YAH YAH YAH, Sons and Daughters ~それより僕が伝えたいのは~, You are free, なぜに君は帰らない
[Album]
RED HILL
CHAGE and ASKAの30代中盤の頃と言えば、セールス上の絶頂期。
個人的には、「TREE」「GUYS」「RED HILL」が、J-Popの領域を超えたC&Aの大作3部作だと思っています。
日本中が、そして少しずつ世界が彼らに注目していたこの頃。小学生だった私は、「何てかっこいい人たちだ」と目を輝かせてライブ映像を見ていましたが、今、自分が丁度その年代に到達していたようです。
B'z
(松本孝弘さんが30代中盤の頃)
[Single]
ミエナイチカラ,Real Thing Shakes
[Album]
LOOSEとSURVIVEの間
(稲葉浩志さんが30代中盤の頃)
[Single]
HOME, ギリギリchop
[Album]
Brotherhood
松本さんが30代中盤だった頃が、B'zの音楽的の変換期だったようです。上記のシングル「Real Thing Shakes」と次作「FIREBALL」と言えば、デジロックでデビューしたB'zがシンセサイザーを使用をしなかった画期的な作品であり、"B'zはRockバンドである"という宣言が、大きなインパクトを以て行われた時期でした。
一方、稲葉さんが30代中盤の頃に、アルバム「Brotherhood」がリリースされています。シングルの「ギリギリchop」といえば、ミリオンヒットを出したアーティストとしては稀に見るハイテンポで激しい楽曲。高音が続くサビ、終盤でのシャウト等、ボーカリストにとってハードな一曲です。
[Single]
ハネモノ,水色の街
[Album]
三日月ロック
本作は9.11同時多発テロから丁度1年後のリリースとなっておりますが、テロ発生当時、草野マサムネさんはその事態に対して音楽が持つ力は余りにも無力であると感じ、自らが歌う意味を見失っていたそうです。
それから時が経ち、「自分の音楽で、人々の不安を取り除くことはできなくても和らげることができるのでは」という考えをもつことができるようになり、本作の制作に至っています。
その結果、前作「ハヤブサ」では自分たちのやりたいロックを解放しましたが、「三日月ロック」では「弾き語りでも良い曲と思ってもらえる曲作り」のもと、どこかに優しさを感じる一枚に仕上がっています。
振り返ってみると、「あの頃」のアーティストの様々な表現活動が今の自分の年齢でなされていたと思うと、驚くばかりです。
私はプロアーティストでも何でもありませんが、それでも「何か」できることはもっとあるんじゃないか、と改めて思い直すことができました。
アーティストの歴史を追う際、「○○年に○○をリリース」のように、「時期」を振り返ることはあると思いますが、その人の年齢を軸に紐解いていくことで、少しだけ深くその曲や歌詞を味わえる気がしませんか?
線にならぬ点だけを描いて
帰る星さえ無くしている
コンパスの無い遊泳のような頼りない日々
半無重力の中で足を掛ける場を探して
風波に身を任せた軌跡は
のこの歯のように浮き沈んで
見えない糸を紡ぐのは複雑で難解という
事実だけはとても単純で簡単だけど
そっと浅く薄い円の中で
ずっと遠くに置いてきた座標を悔やんで
あぁ 泣き笑いして生きた日々は
溶けることの無い雪山の中
逆上がりしても戻れない
記憶の中の振り出しが霞んでいく
心の幹は回っている
スピードは時と共に増す
終いに向かう1°の傾きを感じる度に
細い芯でも倒れない独楽に憧れて
この行き場を失う魂が
混沌を生み出してこの身をふらつかせ
あぁ 幼な心を捨ててこのまま
今だけを着替え続けていく
芽吹いた場所すら見えぬまま
紺碧の空を仰いで浮かんでいる