邦秋の、ギャラリー「個と場」

宮崎在住のランチタイムミュージシャン、邦秋(くにあき)の頭の中。アイデア備忘録・雑感・お役立ち情報から創作活動(音楽・歌詞・散文詩等)の展示・解説まで幅広く。関心事:DTM・音楽・ロゴ・デザイン・教育・APPLE・効率化他

20190905 1年間で300本炭酸を飲む私が推したい炭酸飲料2強

私は、昔から炭酸飲料に目がありません。

一人暮らしを始めた頃から、冷蔵庫には必ず炭酸飲料があり、一時期はコカ・コーラゼロの2Lペットボトルを常備しておいて、お茶や水代わりに飲み続けていたことも。

そして、歳を重ね、徐々にコーラが甘過ぎると思うようになり、近年は炭酸水に傾倒。しかし、これはこれでやはり味気なさを感じておりました。

そんな私が現時点で行き着いた、「甘過ぎる」ことと「味気無さ」を解消する、令和元年最高の炭酸飲料2強をご紹介します。

 

まず、無糖の炭酸飲料はこちら。

ウィルキンソン タンサン クールシトラス

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これは、確かに無糖なのですが、強刺激のミント系のガムを噛んだときのような「スーッ」とする清涼感が、飲んだ後もしばらく続くので味気無さを感じることがありません。

かつて「ペプシブルー」という商品でも味わった感覚でしたが、この「スーッ」が炭酸飲料に求める刺激と絶妙にマッチしており、他の炭酸水には戻れなくなります。

 

 

 

 

そして、少しだけ甘みがほしいときはこちら。

NID やさしい水スパークリング マスカット

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こちらは、無糖ではないのでカロリーもゼロではありませんが、一般的なサイダー・コーラ等のジュースと比較すると、甘さは比較的控えめとなっております。

炭酸飲料は飲みたいけど、炭酸水では物足りない、というときに最適なほのかな甘さが唯一無二です。

 

pb.nidrug.co.jp

 

 

私が気に入る商品はいつも短命ですので、これら2強には是非とも未来永劫生き残ってほしいと切に願っています。

 

20190904 教育の行方

昨日、教育関係の方々にお誘いいただき、食事会に参加してまいりました。

お相手は、教職でありながら「教育行政」の方へ進み、学校の外から教育全体の在り方を考え、改善に取り組んでいこうとされていらっしゃる方々でした。

私も、(実は)教育関係の外部委員を拝命していることもあり、教育に関する学校・地域・産業の連携の理想系については常々考えているのですが、昨日の会話の中では大きな発見がありました。

 

私がこれまで持っていたイメージとしては、教育の中心は学校にあり、学校が地域や産業をいかに巻き込んでいくか、という視点でアレコレ考えていました。

しかし、考えの中心を地域に置く、という発想もあるのです。

つまり、各地域が、それぞれに大切にしたいもの(≒地域ブランド)を確立し、その場所に求める学校を地域が作っていく、ということ。

その根っこには、児童・生徒に地元愛を持ってもらいたいという想いがあります。そして、そうするためには大人たちがその地域の魅力をしっかりと自覚し、育んでいかなければなりません。

地元が好きな人が育っていくことこそ、少子化時代におけるその地域の存続の一つのカギとなります。

(もちろん、時代に即したグローバルな視野を持つことも大切ですし、地域存続だけが教育の目的だと言っているわけではありません。念のため。)

 

宮崎県や宮崎市の子供に求めるものは何か、そのために必要な教育はどんなものか、将来の宮崎での暮らしをどうデザインしていくか…等々、様々な考えやアイデアをつなぎ合わせていきながら、地域・学校・産業界がするべきこと・できることを考えていくことが必要です。 

 

また、地域に限らない一般論として、子どもを育てる上で大切にしたいのは、学力よりも「好奇心をもつ心」であることも再確認しました。

知りたい・学びたい・見たい・やってみたい…これらの好奇心が旺盛であればあるほど、学ぶ意欲が湧く事で学力の向上が期待できますし、将来の自分像を探す上でも大いに役立つはずです。

そして、それは人材不足に悩む産業界の願いでもあるでしょう。

 

将来の日本や世界を支える子どもたちのこと、そして今住んでいるまちのことを思えば、教育がいかに大切かという結論に行きつきます。

これからも思うことや発見したことがあれば、このブログに残していければと思います。

20190903 音楽の行方

ASKAさんと清春さんが同じようなことをブログとインタビューで語っています。

きっと、先日のROTTENGRAFFTYのNOBUYAさんとの会食ではこんな話をなさってたのでしょうね。

 

ASKAさんのブログより。

今後、僕の作品は、アルバムだけにはしません。別に「シングル」扱いというわけもなく、昨年、行いましたように、できた曲を「配信先行」で、発表していこうと考えています。

もちろん、次のアルバムには収められていくのでしょうが、きっと、配信ベースとなる音楽業界は、
例えば、

ASKA:2019年度作品
ASKA:2020年度作品

と、いうような年度別にカテゴリー分けされた紹介となっていく気がします。

出典:ASKA Official Website Fellows 「全曲、歌入れ終了」

 

清春さんのインタビューより。

長く活動してるアーティストほど、年代で括ったほうがわかりやすいのかなって思いますね。そうすれば、「バンドで作った」みたいな括りで言われなくなる。それよりも、その人が2019年に作って記録したっていうほうがシンプルでいいなって思いますね。

出典:BARKS 【インタビュー】清春、カバーアルバムを語る「時代とか関係ない。何年経っても古くも新しくもなく」

 

数年前、とあるラジオ番組の、出演者が数珠つなぎに質問をする企画で、前週に出演した清春さんがASKAさんに質問をする、という出来事がありました。

これまで全く繋がりを感じることなく別々に応援していたお二方が、番組を通じてそのような形で接触しただけで興奮しておりましたが、ここにきて、本格的な交流をされることなろうとは思ってもみませんでした。

いつか、対談企画や、もしくは音楽的なコラボレーションが見られたら…と期待してしまいます。

 

 

www.fellows.tokyo

www.barks.jp

 

 

 

20190902 産休開始月の社会保険料

私の勤務先は、社会保険として協会けんぽを利用していますが、その手続き上で初めて学んだ(気づいた)ことがありましたので、今日はその備忘録として。

 

被保険者が産休に入る際、事業主が「産前産後休業取得者申出書」を提出することで、産休開始月より該当者の社会保険料が免除となりますが、同月内であれば産休開始前に発生した保険料についても同様に免除となります。

 

例えば、今回私が関わったケースでは、賞与支給→産休開始→給与支払が同じ月に発生しました。

給与分については社会保険料免除を考慮できていたのですが、(思い込みにより)賞与分も免除されると思っておらず、準備していた額と実際の支払総額との間に、到底端数の誤差とは言えない差額が発生してしまい、原因追及に時間を要してしまいました。

 

このことについて年金機構に問い合わせても、「標準賞与額決定通知書の通りです」とだけ言われたものの、決定通知書には今回免除となった方の名前と賞与額もしっかり記載されていたことで、頭の中はさらにパニック状態でした。

今回は偶然と閃きにより、差額が産休取得者の社会保険料免除分であるという結論に至ることができたのですが、こうしたことで時間を費やすことのないよう、制度については一つ一つ理解していかねばなりません。

 

今回は、音楽・詞・アイデアなどとはかけ離れた、ザ・総務な記事でした。

僕が眠りについた後は

椅子の上、ゆっくりと揺られて
止まらない時計の針を眺める

憶えているはずのない揺り籠の
寝心地を、なぜだろう思い出す

初めて綺麗な心を取り戻せたとき
記憶を旅する映画が目の前に流れ始めて

たった一粒の涙が全ての笑顔を濡らしていく
癒えたつもりで気にもしなかった
傷跡はまだ傷んでいる

そんな悔やむことばかりが映し出されていくのは
大事なものを傷つけないよう
生きる術もわかっていたから

 

少しずつ心音が弱って
幕のように降りてくる瞼たち

窓から光が僕と椅子に射し込んで来て
体が少しずつ軽くなって浮かび始める

海の全てを巻き込んで寄せた波が返した後
砂浜に光る貝殻が一つ静かに残されている

僕が眠りについた後も時計は止まらないから
明日からもここで生きるあなたは
せめて幸せなままでいてほしい

 

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20190830 「Chage氏は洗脳されている」という仮説の仮定

参考記事 3つ

ameblo.jp

 

 

 

 

こんな周りからの声がある中での、1年前のこの記事と、

aska-burnishstone.hatenablog.com

 

 

その1年後のこの記事。

www.fellows.tokyo

 

 

点と点が結ばれて線が生まれる気がします。

Chage氏は洗脳されている」という仮説を立てれば、の話。

 

あくまで仮説の仮定です。

もしも願いが叶ったら

「しまった…。昨日イライラし過ぎて、あいつの悪口を投稿してしまった」

「本当? それは取り返しのつかないことをしたわね」

「あぁ。あいつのこと、嫌いなわけじゃないのに、こんな言い方されてしまうと、何も知らない人が見たらあいつがすごく嫌な奴に見えてしまうな」

「それを投稿したあなたもね」

「確かにそうだ」

「令和が始まった頃だったら取り返しがついたかもしれないのにね」

「どういうことだ?」

「あの頃は、まだインターネットの中ががとても自由な時代で、投稿したことが自由に消せたのよ」

「まさか、そんなことしたら、嘘やデタラメを好き放題言えたってこと? 人を陥れることだって簡単にできちゃうじゃないか」

「そのまさかよ。だから、コンビニの店員が冷凍庫に入った動画が投稿されたり、話題になった犯罪の容疑者として全く無関係の一般人の写真と名前が広まったりしたわ」

「おいおい、なんて酷い時代だったんだ。今、俺は確かにあいつへの悪口を取り消したいけど、そんな時代には恐ろしくて戻りたくないな」

「今は一度発信したことを取り消せないのが当たり前だけどね。あの頃の人々は思いつきや悪ノリで何でも発信するのが普通だったのよ」

「まるで凶器を所持する規制がない古代みたいな世の中だな」

 

これが、「昨日の願い事」が叶った後の、20年後の理想の姿。

 

邦秋の、ギャラリー「個と場」