邦秋の、ギャラリー「個と場」

宮崎在住のランチタイムミュージシャン、邦秋(くにあき)の頭の中。アイデア備忘録・雑感・お役立ち情報から創作活動(音楽・歌詞・散文詩等)の展示・解説まで幅広く。関心事:DTM・音楽・ロゴ・デザイン・教育・APPLE・効率化他

20200511 #検察庁法改正案に抗議しますキャンペーンに思うこと

5月9日から10日にかけて、「#検察庁法改正案に抗議します」というハッシュタグをつけたツイートが一気に拡散しました。

その要因は、ミュージシャン・俳優女優等の芸能人が積極的に発信したことによります。

この現象を見て、率直に言って私は「げんなり」しました。

 

芸能人だから政治に意見してはいけないなどとは毛頭思っていません。

むしろ、民主主義のこの国において、政治について声を上げるのは素晴らしいことだと思います。

 

但し、発言力や影響力のある方が、具体的な法案の内容に触れないまま、あやつり人形のような形で反政府運動の片棒を担いでしまっては、適切な民主政治を妨害する行為に繋がるとも考えています。

 

ちなみに、今回このキャンペーンに参加された方は以下の方々のようです。(リンク先には「バカ」等の記載があり、やや品位に欠けるので、個人的にこの記事の内容を全面的には支持しているわけではありませんが…)

 

理想の政治に対してしっかりした考えを持っていることが伝わる方や、ラサール石井氏・村本大輔氏のように日頃から反体制のアピールに勤しんでいる方であれば何とも思わないのですが…

今回は突如として本件にハッシュタグをつけた方が多いように見受けられ、「皆がやっているから、私も乗っかる」とか、「反体制をアピールしてみようかな」とか、もしくは「"知人"にお願いをされたからハッシュタグをつけた」とか、そんな感じなのかなと察してしまいます。

 

「政治への関心」ってそんなものでいいんですかね?

 

ちなみに、「キャンペーン」と申し上げたのは、リツイート数のねつ造が行われている実態もあるからです。いやはや恐ろしい。

tsuisoku.com

 

 

 

かくいう私も、ちゃんと勉強してから自分の考えを持とうと思い、「検察庁法改正案」でウェブ検索をしたのですが、時すでに遅し。

検索結果は、既にこの抗議キャンペーンに関する記事で埋め尽くされていました。

その後、今回の話題の対象となっている「国家公務員法等の一部を改正する法律案」(こちらが法案名であることをご存じでした?)に行きつき、色々と調べたのですが、一番しっくりきたのは以下の記事です。

note.com

 

こちらも、ツイッター上に溢れている様々な情報と同様、「人」が自分の解釈に基づいて作ったまとめ資料なので、全てにおいて真理であるとも言い切れません。

しかし、少なくとも悪意のある相関図やミスリードするために引用した図に比べれば、信頼性のおけるものだと思っています。

  

そもそも、話を少し手前に戻すと、ニュース・ワイドショーのコメンテーターに芸能人を起用することの善し悪しもずっと気になっていました。

昨日、衝撃を受けたのは「ワイドナショー」における「仕事がない日々をどう過ごしているか」という質問の答え。

出演者の回答の多くは、「ゲームをする」「○○の数を数えて過ごす」等、「いかに暇をつぶすか」という回答でした。

自己研鑽に励んでいたのはウエンツ瑛士さんだけだったように思います。

(※ちなみに、ワイドナショーが雑談番組であることは重々承知しております。) 

もちろん、それらの生き方も私は全く否定しません。むしろファーストサマーウイカさんなんかは、話も上手で好感が持てるタレントさんです。

しかし、この度の自粛ムードにて大打撃を受けて、生活が立ち行かなくなったり、国の補償が足りないと本気で訴えたりするなど苦しんでいる方々がいます。

それとは真逆の生き方として、お金に余裕のある芸能人には、仕事がないからゲームをしっ放しという自粛の選択肢もあるのです。

このことに対して、スタジオの全員がさほど驚くこともなかったようなので、「芸能界」では普通の感覚なのでしょう。

 

ニュース・ワイドショーでコメンテーターとして芸能人を起用するのは、専門家の意見に比べて、国民・市民に近い感覚をもった意見を求められているからだと思うのですが、「芸能界」の意識なんてこんなものなのです。

 

 

私が憧れてきたロックスターも最近簡単に反体制のツイートやいいねを連発されていて、私もいよいよ彼から卒業する時が来たのかな、と思っています。

ミュージシャンが政治を語ってはいけないのではなく、語るほどの知識がない方が急に語り出すことのかっこ悪さを見せてほしくないんです。

かっこ悪さを感じたことがなかったから、憧れ続けてきたんです。

 

ちょっと最後は走り書きの殴り書きのようになってしまいましたが、きちんと情報を集めて、しっかりとした意思をもって政治には向き合っていきたいものです。

 

情けない国民に、情けない市民に、情けない大人にならないために。