社会人生活が10年を超え、歳上だけでなく、歳下の方とも話す機会が多くなってまいりました。
総務部という立場上、人と人との「調整」を図らないといけないことも多く、そのためにはどうしても「いかに言葉を操ることができるか」が鍵となってきます。
歳上の方との対話で心がけたいのは、原因と結果を完璧に理解しておくこと。
時間のない経営層との会話においては、正しい情報を端的に伝えなければなりません。
最も端的に伝えるべきは「結果」ですが、経営層としては「なぜ?」も気になるところ。
その質問にも素早く的確に答える必要があります。
そのためには「情報のインプット」と「経過の正しい理解」と「結論をまとめる力」が欠かせません。
これらは全て、言葉を操ることで為されるものであり、その能力は言葉を用いる頻度とそのときの集中度によってのみ磨かれていくものと考えています。
歳下の方との対話で心がけてたいのは、傾聴に徹し、相手の伝えたいことの根源やその先について、想像を働かせること。
若い方の…全員とまではいきませんが、多くの方が、ぼんやりした考えだけをもって発言されている印象があります。
なぜそうなったのか、なぜそう思うのか、それによってどうなるのか、それによって何がしたいのか…
自分自身に係ることすら、述べることができません。むしろ、そこまで深く、あるいは論理立てて考えられていない、というのが正解でしょう。辛口ですが。
きっとそれは「言語化する」という習慣がなかったために起きている現象なのだと考えます。
ぼんやりしたものを、確固たる自分の想いや意見にしていくには、一つ一つを言語化していくことが肝要です。
はじめは、発する言葉自体がぼんやりしていても、その言葉に行き着いたルーツを探ったり、その先に何わ見ているかを問うたりすることで、それらの言葉一つ一つが足跡を作っていき、一本の道筋が見えてきます。
そうしてぼんやりしていたイメージが、くっきりした画像・映像になっていくわけです。
まるで、視力0.02の私が、メガネの度を徐々に上げていく感じでしょうか(笑)
言葉を知っているか否か、使いこなせるか否かは、思考を深く広くできるか否かに直結する要素といえます。
そう、言葉はただ伝達するだけのツールではないということです。
その人が持ち合わせる言語がその人の世界観の形成や思考に影響を与えることとされる「サピア=ウォーフの仮説」というものもあります。
これはまだ仮説の域を脱しませんが、私は非常に説得力のある説だと思っています。
たかが言葉、されど言葉。
人間であるからこそ、ぜひ皆さんに大切にしていっていただきたい存在です。
本日の写真作品:babel's artworksさんによる写真ACからの写真